富猫堂

吉祥寺・井の頭公園にあるネルドリップ珈琲の店 トムネコゴ の店主のブログ

『聖地巡礼』

先日久しぶりに鎌倉に行ってきました。
と言ってもいわゆる鎌倉観光ではなく、僕にとっての「鎌倉に行く」とは、イコール「ある人のお墓参り」を意味します
アキ・カウリスマキが「自分の墓碑には『生まれてはみたけれど』(“ある人”の作品名)と刻ませる」と公言し、ヴィム・ベンダースが自作『ベルリン 天使の詩』で「かつての天使」として讃えた人物。
僕は小町通りにも鶴岡八幡にも何処にも寄らず、円覚寺の一角の小高い丘の上の墓地、そこに静かに鎮座する『無』とだけ刻まれたその墓石に逢いに、鎌倉に行ってきました。
それは僕にとっての『聖地巡礼』。
そこに立つと、風が体の中を吹き抜け、奥にある“芯”が揺れるのを感じます。
身体から力が抜けて行き、自分が何かの“脱け殻”になったように感じます。
僕は立っていられなくなり、墓石の前の石段に(一礼して)腰を下ろす。
それから目を閉じ、再びこの場所に戻ってこれた事を(何かに)感謝する。
映画監督 小津安二郎が永眠(ねむ)る見晴らしの良いその場所は、僕にとっては、そういう場所です。

その日は雲の多い、それでも秋晴れと呼んでいい気持ちの良いお天気でした。
その小高い場所からは、秋空に映えた、見事な山の紅葉を見ることが出来ます。
辺りはシンとしてとても静か。
何処かで山鳥の啼く声が聴こえます。

僕はふと思い立って、バッグの中から今読んでいる本(文庫)を取り出しました。
志賀直哉の『暗夜行路』。
それは小津さんが最も敬愛した作家の一人であり、自身、中支戦線従軍中(36歳頃)に読んで、「‥激しいものに甚だうたれた。これは何年にもないことだった。誠に感ず」、「もう読み終わって『暗夜行路』、十日程にもなるのに(中略)未だに新しい感動を覚へて快い」、とその読後感を熱く日記に記した作品。
小津さんは若い頃から晩年まで(小まめに)日記を書き続けていましたが、その殆どは叙事的な記述(何々があった、何処何処に行った等)ばかりで、自分の感情をもろに、ここまで熱っぽく書くのは稀なこと。
(そこには戦争という、想像を絶する状況が深く関わっていると思う)
僕は全くの偶然にも、数日前より読み返し始めたその『暗夜行路』を持って、小津さんの墓参りに来ていたのでした。

『暗夜行路』は、不義の子として産まれた青年の、魂の遍歴の物語。

僕はその本を読みかけの箇所からしばらく黙読し、それからなんとなく、朗読を始めました。
石段から立ち上がり、その『無』と書かれた墓石と向かい合いそれに向けて、一行一行朗読しました。
出来るだけゆっくりと、そして、はっきりと。
どうしてそんな事をしたのかは自分でも分かりません。
ただその時は「そうするのが自然な事」のように思えました。
空は晴れ(小津さんの好きな“ピーカン”)、
山は静かで(小津映画は本当に静かです)、
我等は若い(『お茶漬けの味』より)。
まさに、絶好の朗読日和(?)。

僕はしばらく朗読してから本をバッグに仕舞い、(一礼して)その場を去りました。
「あの“芯”の揺れはまだ感じるけれど、身体には力が戻っている」
長い石段をゆっくりと降りながら、僕はそんな事を考えていました。

何処かで、山鳥の啼く声が聴こえます。


ただそれだけの話

 

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