富猫堂

吉祥寺・井の頭公園にあるネルドリップ珈琲の店 トムネコゴ の店主のブログ

『in a sentimental mood』

朝起きて台所へ行くと、そこのベランダに猫が居た。

中ぐらいの大きさの黒猫で、コンクリートの床に“うずくまって”居るのが窓越しに見える。
私の部屋は3階の角にあり、隣の部屋のベランダとは正確に170cmの間がるので、その黒猫がどうやってそこに来たのか、ちょっと不思議である。
黒猫は鳴きもせず動きもせず、ただそこにじっと“うずくまって”居る。
私はしばらくその光景を見てから流し台の方へ行き、やかんに水を入れて火にかけた。
それからマグカップの上にドリッパーを乗せ、開いたペーパーフィルターをその中へ落とした。(粉はまだ入れない)
それだけ済むと窓辺へ戻り、再び(そっと)黒猫を見た。
黒猫はさっき見た時と全く同じ状態で、私に対して横向きに、じっと壁の方を見ている。
それは何かを深く考えている様にも見えるが、もちろん私にはそんな事分からない。
(そもそも猫の考えている事が分かる人間がこの世に存在するのだろうか?)
私はガス台へ戻って火を止め、やかんのお湯をドリップポットの中に移した。
お湯をフィルターの上から満遍なくかけ、“フィルターとドリッパーの隙間”を無くした。
そこに珈琲の粉を“たっぷり”と入れ(粉をケチってはいけない)、マグに溜まったお湯を捨てたら、上から“ゆっくり”とお湯を注ぎ始める。
私は珈琲を淹れている。

マグを持ってベランダへ戻ると、黒猫は室外機の上からこちらを見ていた。
前脚を立てて座り、窓越しにじっとこちらを見ている。
その揺らぎの無い眼差しは、寄り道する事なく真っ直ぐ私に向けられ、それゆえに私を少しだけ“たじろがせた”。
初夏の空には雲ひとつ無く、淡いブルーがどこまでも拡がっている。
私は吸い込まれる様に彼女(黒猫)を見返し、しばし、ただそれだけの時間が流れた。

その黒猫が5年前に亡くなった妻に似ていると気づいたのは、その少し後の事だった。
私は何となく音楽が聴きたくなって居間に行き、(何故か)妻が好きだったジャズのレコードを取り出してかけ(私はクラシックの方を好む)、ソファに座ってその女性ヴォーカルの歌声を聴くともなく聴いている時に、ふと、そう思った。
妻は晴れた日の朝にエラを聴くのが好きだった。
「エラを流すと洗濯物がよく乾くのよ」、と言っていた。(本当かどうかは分からない)
そして妻も、“寄り道せずに真っ直ぐ”私を見た。
まるでその他のものは存在しないかの様に。
私には誰かをそんな風に見ることは出来ない。
おそらく、自分自身をもそんな風には見れない。
私はただ“たじろぐ”。

ソファから立ち上がってオーディオのヴォリュームを上げ、その曲に耳を傾ける。
『イン・ア・センチメンタル・ムード』
デューク・エリントン作曲の陰鬱なバラッド。
クラシック以外で数少ない私の愛好する曲だ。
ギターの伴奏だけで歌うエラは、この曲をとても丁寧に扱っている。
まるで大切な人間を亡くした人が、その残された“遺品”を扱うように。
それは静かに私の胸を打つ。
私は妻をそんな風に扱う事が出来ただろうか?
私は寄り道ばかりしているのではないだろうか?
「あなたは考えすぎるのよ」、とよく妻は言った。
それから真っ直ぐ私を見て、いかにも楽しそうに笑った。
私は少し感傷的になっているのかもしれない。
そう、センチメンタルなムードに。

台所に戻ってベランダを見ると、黒猫はもうそこには居なかった。
あの真っ直ぐな視線だけを残して、何処かへ消えてしまっていた。
私は何となくほっとして、ガス台へ行きもう一度やかんを火にかけた。
それから気になってベランダへ戻り、窓を開けて外に出て見た。
すると、床に“白いヒゲ”が2本落ちている。
ちょうど黒猫が“うずくまって”いた辺りに、まるで双子の様に綺麗に並んで。
私はそれを拾い上げ、夏の空にかざして見た。
空には相変わらず雲一つ無く、遠くの方に、微かに黒い点の様なものが見える

「今日も暑うなるぞ」、不意に私はそう呟いた。

長年連れ添った妻を看取った男性が、独り夜明けを迎え、朝日を見ながら呟く、映画東京物語』のラスト近くの印象的な台詞。

私はやはり感傷的になっているようだ。
「あなたは猫を飼うべきよ」、と妻の声が何処かから聞こえたような気がした。

私は“白いヒゲ”を(丁寧に)ポケットにしまい、2杯目の珈琲を淹れに、ガス台の方へ向かった。


おしまい。


今年はエラ・フィッツジェラルドの生誕100年でもあります。と言うことは、エラとモンクは同級生なんですね。1917年生まれは他にディジー・ガレスピーもいます。スゴイですね。あとはジョン・F・ケネディがいて、ガンジーがいて、トニー谷がいます。
こうやって見ると、ナカナカ興味深いザンスね。店主 平良

 

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※エラが歌い、デュークが聴いています(ベニー・グッドマンも)。 すごい時代ですね。
しかしエラはいったい何を歌っているんでしょうね?こういうのは想像するとけっこう面白いです。